キッチンの思っていること(うちのお母さん) 10月10日
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こんばんは、キッチンです!
【うちの母】
先日は父の記事を書か来ました! 今日は母を紹介しようと思います。
daidokoro-no-todana.hatenablog.com
母は父と幼稚園の頃からの同級生です。
母の実家でアルバムを見ると、幼い頃の母はめちゃくちゃ髪が短くて、男の子のみたいでしたw
小さい頃はお気に入りのハンカチがあったらしく、いつもその匂いを嗅いでいたなんて話も前にしてくれましたねw
その遺伝子は僕にも受け継がれて、幼稚園の頃はお気に入りの毛布があり、ボロボロになっても、縫い合わせて卒園するまで使ってましたw
中学生のときには走り幅跳びで県2位になったと言っていました。しかもこのとき自分のスパイクを忘れて、友達に借りたって言うから驚きましたねw
この運動神経の良さは弟に引き継がれることになります。
母はかなりしっかりもので、家計の管理や家事もすべて1人でこなします。
私は一人暮らしを始めてから、母の苦労を知りましたね。感謝してもしきれないくらいです。
毎朝4時半に起きて、お弁当を作り、洗濯をしてくれています。
来年からは弟も家にはいなくなるので、3つ作ってくれていたお弁当も父の1つ分になりますね。
「楽になるけど寂しいね」って言ってたことが印象に深いですね。
ある夏、母がウイルス性の発疹が出てしまい、1ヶ月ほど入院し、家を空けたことがありました。
幸いにも父の実家が隣なので、食事の面倒は祖母が見てくれました。しかし、洗濯や掃除等には父が苦戦していたことが懐かしいですw
お金の面では、散財気味の父とは違い、貯金もしっかりしてくれています。
私が小学生の頃には普通に生活しながら、車を買うために200万円を貯めていたので、なかなか出来ることじゃないなって思います。
しかし、ある時は定期預金のやり過ぎで積立貧乏になりかけててましたねw
現在の仕事は、近所の工場のパートさんです。もう12年くらい勤めてるって言ったましたね。
私も高専の夏休みや春休みにアルバイトでお世話になりました。
昔はバスガイドをやっており、家にはほとんど帰ってなかったって言ったました。
バスガイドをやっていたこともあり、話し相手をするのはすごく得意です。
私にもそのスキルが受け継がれていたら良かったですw
冒頭で父と母は幼馴染って言いましたが、なかなか良い馴れ初めをしています。
母は父のことが小学生のときから好きだったらしく、中学の時は陸上の練習をしながら、野球をやっている父を眺めていたそうです。
高校で一度離ればなれになっても、気持ちは変わらず、お互いに就職してから付き合い始めたそうです。
付き合って数年たったころ、父が父の祖母(私の曾祖母)に「こんないい人逃したら、もったいないよ」と急かされ、結婚に至ったんだそうですw
母が私に「あんちゃんは手間がかからなくて助かるよ」ってよく言います。
「勉強の心配はしたこと無い」や「部活でのお金もかからないし、学校も国立だから助かる」などと言ってくれました。
確かに中学の部活では、3年間でスパイク一足、ユニフォームも一着しかかいませんでしたねw
今思うと、県大会の決勝に行けるとわかっていたら、もっとお金を掛けてもよかったかもしれまんせねw
一方、お金の面も含めて弟は手間がかかりますが、残してきた功績もなかなか凄いです。
父と母の教育方針は「好きなことを自由にやらせる。お金の心配はさせない。」です。
お陰様で、私も弟も好きなことが出来ていますね。感謝しなくちゃいけないですね。
来年からは子供たちが家からいなくなるので、ゆっくり過ごしてほしいですね。
たまには夫婦で旅行でも良いんじゃないかな。
【最後に】
今日は母について書いてみました。実家にいたらわからないありがたみってたくさんありますよね。
次回は弟について書いてみようと思います。
ではまた明日お会いしましょう!
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