台所の戸棚の中(日記)

キッチンが普段考えていることをありのまま書いていきます

キッチンの思っていること(自己紹介 中学~高専) 9月10日

(無料版はてなブログを利用しているため、広告が入ります。ご了承ください。)  

 

皆さん、こんにちは!

化学の始まりは台所から、どうもキッチンです!

(日常の疑問は毎週土曜日、他のネタは毎週火曜日に更新中)

 

昨日の自己紹介の続きをしていきたいと思います~

今日は中学から現在までのエピソードを話して行きたいと思います。たぶんまた長くなるので、心の準備をお願いしますw

 

あと読んでいただけたら、Twitterの方で「いいね」してくるとモチベが上がるので、よろしくおねがいします!w

 

自己紹介の続き

【中学生】

中学に入ると小学校で離ればなれになってた幼稚園の同級生と再度合流しまして、一学年40人くらいになりました。田舎なので、人数が少ないのは仕方ないですw

 

中学生になってはじめのイベントは「骨折」でした。自転車でコケて骨折したんですよねw ようやく馴染んで来たかな~ってくらいのときに左手にギプス巻いて通学してましたw 部活も1ヶ月以上最初は出来ませんでしたw 

 

それ以外だと、1個年上の女性の先輩方に妙にモテてまして、チヤホヤされたいされたことを覚えてますw 僕の最後のモテ期だったかもしれませんw

 

【部活】

中学に入って「陸上部」に入部しました。実は小5のときから市の陸上の大会には参加してて、走り幅跳び走り高跳び、ハードルをやってました。

 

小学校低学年までは特に運動神経も良いわけではなかったのですが、身長が伸び始めてからは走るのが少し速くなったので、陸上の大会に参加してました。

 

人数の少ない中学だったので、男子は陸上、卓球、剣道くらいしか運動部は選択肢がなかったですねw 市の大会も参加人数が少ないので「出れば賞状貰えるよ」みたいな感じでしたw

 

当時からもやしみたいな体型だったので、顧問に「キッチンはハードルと走り高跳び出なよ」って言われて、ずっと3年まで続けてましたw

 

顧問が面白いおばちゃんの先生で、朝早く来て一番乗りで学校の外周を走ってる人だったんですよw 生徒もあだ名で呼ぶくらい距離感の近い先生でしたね。

 

3年のときに一回顧問が変わるんですけど、今度は男のいじられキャラの先生でしたw 生徒からニックネームで呼ばれてましたからw 

 

どっちの顧問も専門は理科だったので、相変わらず理科室でははしゃいでw 目を付けられてましたねw 

 

部活は3年の夏の県大会で、走り高跳びの決勝に出て名前を呼んで貰えたのがいい思い出ですね。

 

【化学の道に進もうと決めた理由】

中学でも小学校に引き続き、数学と理科が得意科目でした。2年のときに理科で原子について習いました。

 

そのときに「原子知ったら世界の見方変わっちゃったな~w」って思って化学の道に進もうと決めました。

 

あと星を見るのが好きで、当時は宇宙兄弟のアニメを見たりしてたので、宇宙飛行士にも憧れてましたね。

 

【遊び】

友達の家か、児童館に入り浸って週末は遊んでましたw 児童館の先生ともマブダチでしたねw 

 

ゲームはモンハン、メタルギアCODあたりがメインだったと思います。モンハン3rdは300時間以上プレイした記憶がありますねw 友達とPSPを持ち寄ってバッテリーが切れるまでプレイしてましたw

 

FPSにハマったのも中学のときのCODがきっかけですねw ネット回線がなかったので、テザリングで無理やりプレイしてましたw 通信量使いすぎてよく怒られてました。

 

あとは遊戯王ヴァンガードにも結構お金をかけましたw メインのデッキは「極星」、「ノヴァグラップラー」でした。当時はあれほど夢中だったのが今では不思議です。

 

あとはパズドラもハマってました! 自分の端末がなかったので、親のスマホを借りてプレイしてました。「ゴットフェス何出た?」などは定番ネタでしたねw

 

【受験】

高専を受けるいうのは意外とすぐ決まりました。理由は「進学校でガチガチに勉強したくない」というものでした。あとは実際の製品に近い部分の勉強をしたいなと思っていたので、私にとっては高専はピッタリな選択肢だったんですねw

 

落ちたとしても工業高校に行くつもりでした。中学では生徒会長をしてたのもあって、推薦で受かり、1月の後半からは遊んで過ごしてましたw 

 

受験に受かったらすぐにスマホを買ってもらいました。とりあえずLINE、TwitterFacebookSNSを3つ入れて、ずーといじっていたことを覚えていますw

 

卒業式1周間前、私はゴールポストに激突して、おでこにパックリ切り傷を作りましたw 中学は怪我に始まり、怪我に終わるという感じでした。

 

高専

高専に入った私が最初に困ったことは、「友達の作り方を忘れた」ことでしたw

 

中学までは知り合いがずーっといたので、特に困ることもなかったですが、高専には知り合いが一人もいないので最初の1週間は地獄でしたねw

 

電車通学で中学の友達と過ごすのが心の救いだったことを覚えていますw 

 

そんな状態でも1週間くらいすると慣れてきて、徐々に友達も出来てきました。当時、友達は今でも一番仲がいい友達ですね。

 

最近も一緒に麻雀したり、ゲームしたりしていますw 

 

【部活】

高専に来たからには運動部には入らないと決めていたので、良さげな文化部はないか探していました。

 

部活一覧を見て、「理科部」を見つけまして速攻で入部しました! 化学っぽいことはしてなくて、実際は電子工作をしている部活でしたw

 

パソコンもろくにいじったことなかったのに、いきなりマイコンを使ってラーメンタイマーを作ることになりましたw

 

最初は不安も有りましたが、中学の技術の授業ではんだ付け楽しいなと思っていたので電子工作も意外と楽しむことが出来ましたw

 

PCが得意な子もいたので、色々教えてもらい自作PCを組み立てられるまでに成長しましたw 

 

他にも天体望遠鏡を作ったり、ミニスーパーファミコンを作り、文化祭で多くの方に楽しんでもらうことが出来ましたw

 

部長も経験して、お金の管理をしたのもいい経験でしたね!w

 

【勉強と実験】

高専で何が辛かったかと言うと、1年の学生実験でした。実験ノートと実験レポートを毎週書かなければいけなかったので、週末が億劫でした。

 

月曜日が楽しいという不思議な体験をしたのものですw 

 

勉強は意外と何とかなりましたねw 幸いにも一緒に勉強してくれる友達がいたので、テスト期間は切磋琢磨してました!

 

高専は自分と近いレベルの人が多かったので、お互いに教え合うのも楽だったことを覚えています。

 

驚いたことは、高専とはいえど上から下までいろいろなレベルの人がいるということでした。上の人は「天才」って言葉似合うくらいかけ離れていて、下の人は毎回落単の心配をしているような感じでした。

 

何より一緒に勉強してくれる友達がいてくれたことが一番大きかったと思います。

 

【遊び】

高1のときにネット回線が開通したので、オンラインゲームにのめりこんでましたね!w Fortnite、R6S、CODあたりをやってました。

 

一時期は平日も深夜過ぎまでプレイしてたので、毎日寝不足でした。夏休みは昼夜逆転しながら、ひたすら建築バトルに勤しんでいました。

 

 

編入学

 4年の夏休みから編入学試験の勉強を始めました。なるべくレベルの高い大学の過去問を漁って、ギリギリのいけそうなラインを見極めました。

 

紆余曲折あったのち、東北大学の工学部を受けることを決めました! 一緒に受けてくる友達がいたので、モチベーションも保ちつつ頑張ることが出来ました。

 

スタディプラスを入れて周りの勉強時間を見て、自分を奮い立たせることもありました。

 

第一志望の受験の時は、緊張もあってか数学と物理の試験でやらかしてしまったと思い、ホテルまでの帰り道で絶望してましたw

 

約2週間、ハラハラしながら過ごした後、運命の合否発表です! 自分の番号があったときはまさに「天にも登る気持ち」になりましたw 思わず学科の先生方に報告して回ったことを覚えていますw

 

【卒検】

 受験が終わってから本腰を入れ始めた卒業研究でしたが、高専最後にして最強の敵でしたねw 

 

メンタルがあまり強くなかった私は、実験が上手くいかず人生で初めて病みを経験しました。

 

家庭教師のバイトもしてたので、指導先のお母さんに話を聞いてもらって元気をもらっていましたw

 

一番大変だったことは学会発表の前でした。発表日の朝3時までポスターを作っていたのはとてもいい思い出です。

 

当時の研究室メンバーとは、未だに定番ネタとして飲み会などで話していますw

 

何とか卒論を書き上げ、やっとの思い出高専を卒業しました。

 

高専での経験は私の人生の中で一番濃密だったと思います。楽しい5年間でしたねw

 

 

【最後に】

かなり長くなりましたがこれが高専までのエピソードになります。語り切れないこともいっぱいありますが、自分の過去を振り返るいい機会となりましたw 明日からは、のんびり考えていることを書いていきたいと思います!

よかったらまた見に来てくださいね!w

 

キッチン

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